機械化戦術 そしてドイツ軍、暗黒の日



この戦いで世界初の戦車と戦車の戦闘がアミアン近郊にて繰り広げられた


機械化戦術を考案したのはオーストラリア軍のジョン・モナッシュ中将である。1918年7月4日、アミアンの東13キロにアメル付近で実験的戦闘が行われた。それは兵を徒に前進させ消耗させるのは間違いで、歩兵の前進状況を回復しなければならなかった。安全に兵が前進しやすいように、迫撃砲、飛行機、戦車を積極的に使用すべきだという考えであった。これは有効活用するという点で戦車中心主義のフラーの発想とは違うものだった。これは経費分析の発想を入れ込んだためにできた機械化戦術であった。モナッシュはこの論を試すため、第4軍司令官ヘンリー・S・ローリンソンを説き伏せて行動に移す。幸い、ソンムでの戦いで悲劇の日を目の当たりにした、ローリンソンは従来の論述では攻略が不可能と悟っていた。7月4日末明、急襲を行うために、15分間の準備砲撃が行われた。砲撃の轟音で戦車の音を消し、ドイツ兵達は戦車の接近を見逃していた。ドイツ軍守備隊は、戦車の攻撃に壊乱したため、容易に前進することができた、機関銃による脅威も分厚い装甲で守られた戦車の前では歯が立たず、戦車の後方に隠れた兵士は安全に進むことができた。

アメルの実戦を元に本格的に機械化攻撃を企画、攻撃は8月8日に開始される。歩兵13個師団、騎兵3個師団、戦車3個旅団の400両を超す戦車がかき集められ、航空機も12個飛行隊と爆撃3個飛行隊が割り当てられ、上空と地上の共同作戦となった。
攻撃準備が完全に秘匿され漏れること無く開始された。攻撃計画も作戦4日前に伝達され、フェイクのため、カナダ軍団がわざとイギリス第2軍方面に移動、ケメルで何か行動を起こすかのようなそぶりを見せつけた。作戦は夜間に行われ、飛行部隊は活発に動き、ドイツ軍偵察機を戦場上空から、撃墜していった。さらに機密保持のため、階級、姓名以外が一切答えないような事を兵達に教えていた。後の第二次世界大戦では当たり前となる。8月8日末明、日の出の前に1000門を超す火砲の一斉砲撃と共にイギリス第4軍の兵力と新型戦車Mk−V戦車10個大隊が発進する。攻撃の第一陣は歩兵と前方に戦車がいる形で射撃をし移動弾幕を張った。霧の助けもあり、奇襲を成功させる、戦線の一部に突破口が開き、装甲車両をそこに投入し、補給線や輸送列車を襲撃し、増援を断ち切った。後に連合軍は完全なる勝利により終わる形となった。ここでは人命による消耗より、機械による消耗の方が遥かに効率の良さを考慮し始める。のちにドイツのカイザーは終戦の方向へと目を向けていた。

参考文献及び関連書籍
「歴史群像シリーズ」
著者 瀬戸利春 (2008) 「ガリポリ上陸作戦」 『【図説】戦略・戦術・兵器詳解 第一次世界大戦 下』 pp28−pp35 学習研究社
著者 瀬戸利春 (2008) 「戦車の誕生」『歴史群像アーカイブvol3 ミリタリー基礎講座U現代戦術への道』 pp44−pp52 学習研究社

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