第一次世界大戦
長期化そして消耗戦
オーストラリアの大公の暗殺により、各国が総動員を起こし、大きな国々の領土争いが始まった。
三国同盟(ドイツ・オーストリア・オスマン・ブルガリア)と三国協商(イギリス・フランス・ロシア)が対立し始める。
同盟軍と連合国として戦う。後に日本,アメリカも連合軍として参戦する。
そして世界初の戦車、戦闘機、潜水艦が登場し始め、
現代戦となる戦いである。


原因

1910年代の初頭、ヨーロッパ及びその周縁地域で、小規模な戦争や軍事的緊張が幾度となく発生した。1911年7月から数ヶ月間にわたって、北西アフリカのモロッコでの「第二次モロッコ危機」や、同年9月に勃発したイタリアのトルコ領トリポリへの侵攻作戦や、1912年と13年の二度にわたるバルカン半島の国々が激戦を繰り広げた「バルカン戦争」などである。これらの出来事は、数か月のうちに外交交渉によって事態の収拾が図られる。特に「第二次モロッコ危機」の場合は、当事国であるドイツとフランス・イギリスという大国同士の軍事対立に発展することなく、海外植民地の譲渡しといった外交的解決で鎮静化する。これらの実績が存在したことにより、欧州各国の国家元首たちの間には戦争や軍事的緊張は、相手国を威嚇する上では有効であるが、最終的には外交でコントロール可能な一時的現象にすぎないといった、戦争の波及効果を軽視する共通の認識が生まれていた。
しかし、1914年7月にオーストリアとセルビアの関係が一触即発の状態となると同時に、いままで正常に機能していたはずの外交的ブレーキは、全く作動しなくなる。この時点で「戦争」での解決しか選択肢として残されていなかったのである。そのことで当時の国間の関係は回復せず、悪化の一歩だった。そして長い時間、積み重なった、遺恨と不信感を抱えた国々は、連鎖的な動員と宣戦布告を招き、ついにはヨーロッパ全土を戦火で包む「大戦争」へと発展した。
また国々の複雑化した関係も起因した。
同盟関係、利害関係の複雑に絡みあった政治的現象、その中心となった「神聖ローマ帝国」の末裔であるのにもかかわらず対照的なドイツとオーストリアであった。第二次バルカン戦争が終わった1913年八月の時点で、ヨーロッパで対立軸が存在していた。1870年の普仏戦争でのドイツとフランスの関係、ドイツ国、軍備の増強のために結ばれた独英、独露関係の悪化である。そして、オーストリアによるバルカン半島西部のトルコ領ボスニア併合。1908年の事である。それによる激化したオーストリアとセルビアとの民族的対立である。

当時の戦争は(グレート・ウォー)と称される大量殺戮の戦争であった。近代戦闘となり、過去のように騎兵隊を使った戦闘が主であった時代と比べ銃や、大砲の発展により、真正面からの突撃戦法はほぼ無力かされた。どの軍も塹壕を掘り、隠れていた。だれも銃弾の飛び交う中に飛び込もうとする者などいない。常にチャンスをうかがい、膠着状態となっていった。はじめはクリスマスの日までには終わると思われていたこの戦争はこれらの事により長期戦になっていった。

当時生み出された戦略的新兵器達
〜それは当時使われた20世紀初のトンデモ兵器〜


塹壕突破のために生まれた兵器

陸上戦闘での神
孤高なる空の騎士たち
それは死の煙、死の炎
陸上軍艦の如く


海上、艦隊戦の中で生まれる兵器

それは海の中の強行者

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